本学は、福岡県立女子専門学校(文科、家政科)として、1923(大正12)年に開校しました。これは女子の高等教育を使命とし、全国で初の公立の女子専門学校です。1950(昭和25)年、第二次世界大戦後の学制改革により、4年制の大学に昇格して福岡女子大学となりました。当初は学芸学部(国文学科、英文学科、生活科学科)のみの一学部でしたが、1954(昭和29)年に、文学部(国文学科、英文学科)と家政学部(家政学科ー食物学専攻?被服学専攻ー、家庭理学科)の二学部の体制となりました。
1993(平成5)年に、大学院文学研究科修士課程(国文学専攻、英文学専攻)が設置されました。また1997(平成9)年には、大学院文学研究科英文学専攻博士後期課程が設置されました。
一方、家政学部は1995(平成7)年に改組されて、人間環境学部(環境理学科、栄養健康科学科、生活環境学科)となりました。また2000(平成12)年には、大学院人間環境学研究科修士課程(環境理学専攻、栄養健康科学専攻、生活環境学専攻)が設置されました。
2006(平成18)年には法人化され、設置者が「公立大学法人福岡女子大学」となりました。そして、2007(平成19)年度より大学改革を推進。2011(平成23)年4月新たに国際文理学部が開設され、国際化、多様化する社会で幅広く活躍できる女性リーダーの育成に取り組んでいます。
本学は、開学以来100年の歴史と伝統をもち、その間に送り出した14,000余名に及ぶ卒業生は各方面で活躍し、広く社会に貢献しています。
1923(大正12)年 | 4月17日、わが国最初の公立女専として福岡市須崎裏町(現中央区天神5丁目)に 福岡県立女子専門学校を開校。文科、家政科の2科を設置。初代校長、小林照朗。 |
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1925(大正14)年 | 福岡県女子専門学校と改称。 |
1926(大正15)年 | 研究科(文化研究科、家政科研究科)を設置。 |
1927(昭和 2)年 | 女専卒業生同窓会「筑紫海会」発会。 |
1935(昭和10)年 | 別科を設置。 |
1937(昭和12)年 | 火災により須崎校舎が講堂?体育館を残し全焼。 因幡町(現中央区天神2丁目)の県立福岡高等女学校旧校舎を仮校舎とする。 |
1944(昭和19)年 | 文科、家政科を廃し、数学科、物理化学科、保健科を設置。研究科、別科を廃止。 田島(現城南区田島)に寮落成。須崎寮より移転。 |
1945(昭和20)年 | 6月19日、空襲で因幡町の仮校舎が全焼。 田島の同窓会館及び寮の一部を仮校舎とする。 終戦を迎え、須崎裏町の講堂?体育館を間仕切りし仮校舎とする。 |
1946(昭和21)年 | 物理化学科を廃し、国語科を設置。 |
1950(昭和25)年 | 4月24日、須崎裏町に福岡女子大学を開学。初代学長、奥田譲。 学芸学部(国文学専攻、英文学専攻、生活科学専攻)を設置。 |
1951(昭和26)年 | 糟屋郡香椎町大字浜男(現東区香住ヶ丘)に初代香住ヶ丘校舎(香椎校舎) 第1年度分完成につき移転開始。福岡県女子専門学校を廃止。 |
1953(昭和28)年 | 香住ヶ丘校地(香椎校地)内に初代香住ヶ丘寮(香椎寮)落成。 田島寮より移転。11月7日、移転完了祝賀式典を挙行。 |
1954(昭和29)年 | 2学部体制に整備。文学部(国文学科、英文学科)、 家政学部(家政学科食物学専攻、同被服学専攻、家庭理学科)を設置。 |
1993(平成 5)年 | 大学院文学研究科修士課程(国文学専攻、英文学 |